紅茶を淹れて、彼女が美味しそうに飲み始めた頃に、お風呂ができたことをブザーが教えてくれた。

 彼女はゆっくりと紅茶を飲み干してから、僕に言ったんだ。

 ジーパンとTシャツ。その上に着るものを用意しろって。

 それから、彼女は立ち上がった。

 そして、赤い外套のボタンを上から外していくと…。

 外套の下は、な、なんと!

 ウェディングドレスだったんだ。

 

  

2003年聖夜記念

赤い外套を着た女

編の中


ジュン     2002.12.19

 

 

 

「いい?覗いたらコロスわよ」

 そう言い残して、彼女は浴室に消えた。

 誘惑に負けて覗いたりなんかしたら、本当に殺されそうな気がする。

 まだ、一か八かの賭けに出るほど、追い詰められてないから、うん、止めておこう。

「ちょっと!アンタ!」

 浴室から彼女の大声が響いてきた。

 もしもし、そういう台詞は、日本では10年連れ添った夫婦だけだよって教えてあげようかな?

「ドレス、マネキンに掛けておいてね。また使うんだから」

 浴室の扉の前にふんわりと盛り上がっているウェディングドレス。

 それを腕に抱えて、僕は洗面所兼脱衣所の扉を足で閉めた。

 そして、僕はまた使うってどういうことなのかなって思いながら、とんでもないものを発見した。

 どうして、僕の部屋にマネキン人形があるんだ。

 窓際に微笑を湛えながら立っている、リアルタイプのマネキン人形。

 僕はその人造美人と向かい合った。

 昨日までは絶対になかった。今日、帰ってきたときには…確かなかったはず。

 じゃ、さっきコンビニに走った、あの短い時間に?

 それしかないよね。帰ってきてからは、彼女に夢中だったから気がつかなかった。

 う〜ん。でも、誰が、どうやって運んできたんだ?

「ねえ、君。教えてくれないかい?」

 マネキンは微笑んで無言を通している。ま、答えてきた方が驚くけどね。

 僕は腕に抱えているドレスの重みに気付いて、慌てて人形にドレスを着せ掛けた。

 アパレル業界のことは良くわからないから、ちょっと苦労したけど。

 手首が外れるのがわかってからは、さっさとできた。

 そしてドレスを着て華麗に変身したマネキンをじっくりと見たけど…。

 さっき見た、彼女の方が何100倍綺麗だったな…。

「何?アンタ、人形をそんなに見つめて…ひょっとして、人形フェチ?」

 お風呂から出てくるなり、彼女がとんでもないことを言う。

 僕は言い返そうと振り返ったけど、何も言えなかったんだ。

 だって、湯上がりの彼女がとても綺麗だったから。

 僕の着古したジーパンにTシャツ。手にはその上に羽織るように置いておいたカーディガンを持っている。

 髪の毛にはバスタオルを器用に巻きつけて、そんな生活じみた格好だったけど。

 本当に綺麗だった。ルージュとかも取れていたけど、化粧をしていない方が綺麗に見えるよ。

「ちょっと、何よ。ジロジロ見ないでよ」

「あ、ごめん!つい…」

「つい、何よ」

「き、綺麗だなって…」

 思い切って言った後、僕は真っ赤になった。

 あれ?彼女も少し、顔が赤いような…。

「洗濯機に下着入れといたから洗っといて。別にアンタのと一緒でも気にしないから」

「うん」

 そう答えてから、やっぱり僕も大人の男だった。

 重要なことを思い出した。彼女はデパートで何も買わなかった。お金がないって。

 じゃ…、じゃ…。下着を洗濯ってことは、僕の貸したTシャツとジーパンの下は?

 そう思って、彼女をじっと見つめてしまったんだ。

 ノーブラ&ノーパン?

 次の瞬間。僕の首に彼女の頭に乗っかっていたバスタオルが巻きついた。

 ぐへっ!そのまま、僕は床に引き倒される。

 べちゃっ!ていう音が似つかわしいような倒れ方だった。

 うつ伏せに倒れた僕の背中に、彼女はどすんとお尻を乗せた。

「ぐへっ!」

 そして、全体重をかけて、さらにお尻を前後に揺さぶる。

「アンタ、今エッチなこと考えてたでしょ!」

「ええっ?!」

「わかるんだから!この馬鹿シンジ!この変態!」

「ごめん!ごめんなさい!許して!」

 やっぱり僕は変態なんだろうか?

 彼女の情け容赦もない攻撃に苦しみながらも、僕は嬉しかったんだ。

 こんなの、妹とだってじゃれあった覚えなんかない。

「はん!ちゃんと下着はつけてますよ〜だ!」

「え?そ、そうなんだ。で、でも、どうして?持ってなかったじゃないか?」

「うるさい!このスケベ!」

 

 有無を言わさない攻撃は10分くらいも続いただろうか、ようやく僕は開放された。

 さっきの彼女はまるで…うん、十代の女の子みたいだった。

 本当にわかんないや。大人みたいに見えるし、子供みたいだし。

 童顔の僕が言っても可笑しいかもしれないけどね。

 それに…本当に不思議な人だ。

 どこから、下着やマネキン人形を出してきたんだろう?

 魔法?何だかそうかもしれない。そうも思ってしまう。

 でも、魔法が使えるんなら、どうして僕の服を着るんだろう?

 膝下まである大きな赤い外套を着て、その下はウエディングドレスで、

 綺麗で、可愛くて、元気で、ちょっと口が悪くて…でも気にならない。

 好きになっちゃったんだろうな、やっぱり。

 名前も教えてくれないのにね。

 さて、

 女性の下着ってどうやって洗うんだろうか?

 僕は洗濯機の前で考え続けていた。彼女に聞いたら、怒るだろうな…。

 

 ベッドは彼女に当然、進呈させていただいた。

 僕はというと、コタツに丸まって眠ったよ。

 そんな、寝込みを襲うなんてとんでもない。

 だって、コタツと手錠で繋がれていたから。

 でも、彼女はどこから手錠を調達したのかな?

 う〜ん、疑問だらけだよ、彼女は。

 

 朝。

 12月23日だ。天皇誕生日で祝日。僕は当分ず〜とお休み。

 次の仕事が見つかるまでは、長い冬休みになってしまう。

 どうしようかな?今さら実家の世話にはなりたくないし。

 実家の方は妹が婿養子でも貰って、巧くやるだろう。

 大体、僕は向いてないんだよ。ああいう世界は。

 でもな…肉体労働は向いてないし、販売も相手に呑まれちゃうしな…。

 とりあえず、アルバイト探そうか…。

 今、何時かな?

 僕はベッドサイドの掛け時計を見た。

 8時45分。

 朝御飯、作ったほうがいいんだろうな…でも、手錠が…。

 あれ?ちょっと、待ってよ。

 これって、コタツの脚を持ち上げたら、抜けるんじゃないか。

 ははは、何だ。何にも疑わないで、従順に繋がれたままになってたよ。

 って、これがわかってても、別に襲ったりはしなかったよ、うん。

 そんなことして、彼女に嫌われたくないもんね。

 よし、じゃ、朝御飯…外国の人だから、パンがメインの方がいいよね。

 僕はそぉ〜とコタツ布団から抜け出した。

 

 コンソメスープ、ポテトサラダ、プレーンオムレツ…ミンチはコンビニになかったから…、ボイルソーセージ。

 パンは起きてから焼いた方がおいしいもんね。ロールパンとトースト。どっちがいいんだろ?

 僕は左右の手にそれぞれの袋を掲げて、思案していた。

「トースト。ママレードはある?」

 彼女の声に、僕はパンを持ったまま振り返った。

 ベッドにぺたんと座って、枕を胸に抱きしめながら、彼女は微笑んでいた。

 その枕、僕がいつも使ってる枕。当分枕カバーは洗濯しないようにしよう。うん。

「あるよ。もう、焼いていいかな?」

「うん。お願い」

 トーストをオーブントースターにセットしながら、僕は沸きあがってくる嬉しさを抑えられなかったんだ。

 きっと、にやにや笑ってたと思う。

 う〜ん、僕って世話を焼く方が好きなのかな?

 彼女はカーディガンを羽織って、テーブルについた。

 エアコンを動かしているから、寒くはないよね。

 紅茶を淹れていると、トーストが焼けた。

 それにママレードを塗って、彼女の前のお皿に置く。

「紅茶は昨日と一緒でいい?」

「う〜ん、朝はミルクを多めにして、お砂糖はなしで」

「うん」

 僕が言われた通りに紅茶を仕立てて、彼女に渡すと、彼女はしげしげと僕の顔を見るんだ。

「な、何?」

「料理とかしてるときは、テキパキしてるんだ…」

「そう?」

「うん…」

 そう言って、彼女はカップに口をつけた。

「美味しい…。ふふふ」

「どうしたの?」

「ホントはね、もう少し寝たかったんだけど…」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「そうね。ふふ、あまりに美味しそうな匂いがするから、胃袋が起きろって騒ぎ出したの」

「そうなんだ」

「よ〜し、全部いただいちゃうからね!」

「うん、どうぞ!」

 僕は美味しそうに食べる彼女の姿を見て、本当に幸せだった。

 彼女と同じ作り方の紅茶も美味しい。本当は僕はお砂糖入れるんだけどね。

 お砂糖なしでも美味しいのは、彼女の所為だね、間違いなく。

 

「ごちそうさま!」

 彼女はフォークを置いて、僕に笑いかけた。

 僕は天にも上る想いっていうのを齢25にしてようやく知ることができたんだ。

「ねえ、ハンバーグは作れる?」

「うん、できるけど…」

「じゃあね、お昼はハンバーグ!」

「うん!あ、どんなのがいい?」

「どんなのって、いろいろあるの?」

「えっと、洋風。和風。そこからもいっぱい味付けがあるけど」

「ふ〜ん、そうなんだ。シンジはそんなにできるの?」

「うん、多少は」

「ははは、自信ありそうな顔してる。家事が得意?」

「どうなんだろ?」

 そう言いながら得意そうな顔をしていたのだろう。

 彼女は僕の顔を見て、ふふふと笑った。

「よし!決めた。私、決めたわ!」

 うわ!何にしたのかな。凄い語気だよ。こりゃ気合入れて作んないと…!

「私、アンタの一番でいい!」

「え?」

「今、言ったでしょ」

「はい?」

「……アンタの一番好きなのでいいわ」

「えっと、それでいいの?」

 僕は何となく、念を押してしまった。

「うん!私、アンタに合わせてあげるから。アンタもそれでいいでしょ?!」

「え?いいけど…」

 なんか変な感じだけど、まあいいか。

「じゃ、煮込みハンバーグにするね」

「うん!楽しみ!」

 まさに天使の微笑だった。

 テーブルに肘をつき、指を交差した両手の甲を支えにして、少し尖った、でも可愛い顎を乗せている。

 僕を見つめる彼女は、今日は、いや今は凄く可憐に見える。

 ホント、年齢が全然わかんないや。

 少し赤みがかった金髪に、青い瞳、整った顔。

 実は魔法の国のお姫様で、年齢は829歳だって言われても驚かないだろうな。

 よぉし!碇シンジ、渾身のハンバーグを作ってやる!

 

 

 

 食材を買って部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。

 テーブルの上にメモが置かれていた。

 

 

 

ごめんね

 

 

 

 ただそれだけが、ぽつんと書かれている。

 うつろな目で室内を見渡した僕の目に、

 真っ白なウェディングドレスが飛び込んできた。

 こんなの置いてって…。

 赤い外套は着ていってるのに。

 ドレスを着たマネキンの横の壁に、空になったハンガーが虚しく掛かっている。

 結局名前も知らないまま…さよなら、か…。

 

 

 

赤い外套を着た女 − 中 − おわり

 

編の下へ続く 

 

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